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やんちゃな時代の幕開け編
やんちゃな時代
多分10代〜20代前半の私。レーサー憧れ時代。
ピードに憧れる。小学・中学とバイクや車に興味があり、高校生の時18歳になると同時に、車の免許を取りに行きました。バイクでは、モトクロスに興味がありましたが、当時、突然入って来たモータースポーツのトライアルに興味が走り、競技に参戦していました。
その後、車へと興味が移り、ツーリングカーレースに、とても興味がありました。元々ライトウェイト・スポーツカーに興味があったので、サニークラスに憧れ、毎月雑誌で東名サニー対トムススターレットの闘いを見ていました。もちろん当時は、インターネットなんて有りませんから、雑誌が唯一の情報源。そして憧れのレーサーは星野一義さんでした。で、最初に乗っていたのが、日産サニーPB110エクセレントです。本当はB110の1200に乗りたかったのですが、見つかりませんでした。友だちはB110に乗っていました。


コーナーを攻めるPB110
ギャランGTOやんちゃな時代でしたから、当時は、走り屋として街道レーサーをやっていました。当時は、池沢さとし先生の「サーキットの狼」というコミックが流行っていて、いつも見ていました。面白かったです。そんな影響もあったんでしょうね。やはりプロレーサーを目指していました。少し歳を経て、後になってからレーシングカートのチームから誘いが来ましたが、さすがにそこからは、既に脱却していたので、断りましたね。
左の写真は、コーナーを攻める、ぼくの
PB110サニー。当時は、アルミホイルなんて、ほとんどなかったので、みんなスチールホイルを工夫していました。「お前何J履いてるのよ?」とかね。太さで、競ってました。右の写真は、友だちのギャランGTO。後に、ガードレールを飛び越え、お釈迦になりましたが、ケガだけで済みましたね。
粋がるぼくのサニーは、この後原色の黄色に全塗装して、いかにもレーシングという風貌になりますが、次のコーナーで、その終演を迎え、ビートルに取りつかれていきます。ちょっとした、やんちゃな時代も終演ですね。
左の写真は、
ハコスカの友だち、通称タグのバイクにてのやんちゃ写真。こんな時代も終わっていくわけです。当時はデジカメも無いので、貴重な写真です。
サニー
ビンテージとフルチューン編
初代のビートル さてさて、それから大学生の頃に、サニーからビートルに目覚める日がやって来ます。それは、たまたまワーゲンのディーラーに立ち寄った時、置いてあったビートルを、勝手に動かしてしまったという事からの出会いになります。室内ディーラーの人が、勝手に動かしたらダメじゃないと笑いながら、声をかけてくれましたが、その時、外観では到底知りえない衝撃が走りました。「な・なんだこれ。。。」と言った感じで、ビートルの動作に、とても興味深いものが走ったわけです。面白過ぎると思って、気になりだし、いっぱい置いてあるビートルを眺めました。よくみると形が微妙に、それぞれ違う。テールランプの小さいのが、とても格好いいなと感じるようになり、雑誌もあさりました。
当時最大限に影響を受けたのが、右の写真。FLAT4さんのビートルです。格好良すぎます。キャルルックという、カリフォルニアのドレスアップとチューンが流行っており、間違えなく影響を受け、やがて、車の約1.5倍の費用をかけて、2代目のビートルFLAT4さんで。チューンナップしていくことになります。
で、最初の1台目は、かなり気に入っていて、6ボルトと12ボルトの切り替え時代の産物で12ボルトでした。若干デザインが変わりました。6ボルトというのは、現在の車は、12ボルトだと思いますが、最初の頃の
ビートルは6ボルトの電圧でした。FLAT4さんのは6ボルトで12ボルトへ変換しています。
このビートルを使って、いろいろやって行きたかったわけですが、メインのエンジンが壊れてしまい、断念。(後に積み替えが可能と分かって、ショックでした。)
そこで、登場するのが、この世界では新しいタイプの
ビートル。ワンオーナーで、最高品質でした。赤から白いビートルになりました。
FALT4
フルチューン フルチューンこの白ビートルも、後にもっと明るい白に全塗装しました。またキャルルックにしたかったので、モール類も全て、パテ埋めして、シンプルな外観になっていくわけです。自分の中でのイメージはポルシェの911を踏まえ、ホイルもセンターが黒のスパイダーを装着しました。足回りなどもモンローなどで固めてありました。エンジン音は、後にクワイエットマフラーという写真のモンザマフラーから変更し、静かなレーシングカーのような感じの音でした。このフルチューンでは、友だちのポルシェ911と競争して、勝ち、バイバイ・ポルシェの称号を得ます。メーター周りは、トップのタイトル画像にあります。
ASAHIKAWA BEETLE CLUB

FLAT4話は、少し戻りますが、1980年にASAHIKAWA BEETLE CLUBを結成し、毎月みんなでドライブをしていました。このチームは、僕がお声がけして、徐々に集まって来ました。当時は、副会長をやらせて頂いてました。会長は、幼馴染の1級上の先輩。お揃いのジャンパー(チームの刺しゅう入り)と帽子(キャップ)を被っていました。1982年にFLAT4主催のKafer-in.HOKKAIDOが開催され、ワーゲンのお祭りですが、旭川と北見の合同チーム約50台で札幌へ向かいました。当時は、チームの義務で、全車パーソナル無線を付けていたので、北見の間に入るようにして、札幌まで誘導しました。ちなみに、Kaferとは、ドイツ語読みのビートルの事です。
チームの写真もお揃いのウェアでの写真があったのですが、見つかり次第、アップしますね。
右上の写真と右の写真は、FLAT4のドラッグレーサー。札幌まで運んできていました。白い方は、見るだけ、で、右のはデモ走行があるというので、みんな期待ワクワク。エンジンがかかると、レーシングカーのような音。でも、スタートしようとした途端、エンジンパワーが大き過ぎて、一瞬でクラッチが破損してしまいました。見たかったな。
ちなみに、上のステッカーは、1年後の2回目の大会の物。2回目は0〜100のドラッグ大会もあり、参戦しました。窓に白くゼッケン書かれて嬉しかったです。結果は、緊張のため良い数字が出ませんでした。

タイヤ交換レース
FLAT4
左の写真は、一番人気のイベント「タイヤ交換レース」。実は2年連続優勝で、相棒には、コッソリ、毎年ヤナセの整備士を連れて行きました。左のはヒーローインタビューです。でも、他の人は両手でジャッキをゆっくりと回しますが、ぼくは片手で、素早く回していたので、みんな凄げーとか言って、集まって来ました。当時は、力持ちだったようです。
そんなこんなで、この後は、いろんな車にのって、表紙の
K12へと移っていきます。

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